どういう時に良心を感じますか? 心に浮かんだままの行動のススメ

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こんにちわ

みゅージンです。

自分の信念や心持ちというのは自分の中の分身のようなものだと僕は思います。自分自身で信じてあげないとそれ自体が脆くなって、結果的に自分を傷つける。そん風に感じたことが先日ありました。

ある男女のできごと

家から会社に出社する途中。
群馬は車社会なので会社に行くのにも車で出発。

家から出てまもない、ちょうど住宅街抜けたあたりのところで、男女ふたりが追いかけっこしてた。女の子がダッシュしてて男のほうが追いかけてる。そんな構図。

こんな平日の昼間からワイワイと楽しそうな事してるな
っていうかこっちに走ってきたら危ないぞ…なんて気楽に考えてた。

…ただ、遠目に見てたらどうも様子がおかしい。

女の子けっこう本気で逃げてるっぽくて、男が必死こいて捕まえにいってる。
追いついた男に、女の子がパーカーひっぱられて、胸ぐらつかまれて、すごい怒鳴りまくしたてられていた

男「〜☆▼”〒※§〆んだ!ぁあ!?」

女「うっせーな!しらねーよ!離せ!」

ギャーギャー!

中学生のガン飛ばしみたいな言い方。
女の子も必死で大声でって叫んで抵抗していた。

『ああコレ本気の喧嘩だ。ちょっとまずいな、男のほうが今にも殴りかかりそうだわ…。』

そんな風に思いつつ

車を徐行しながら近づいた時に、変な車が来たと思ったか、男女ふたり共と目が合いました。

男の方はあんまり気にしてないみたいでこちらをちょっと睨んだぐらいで、すぐ女性の方に視線もどして息巻いてた。女の子の方は「助けて」って感じじゃなかったけど、困った顔してた。

僕は二人に目を合わせつつも、その場をスルーして、仕事場に向かいました。

ただ心にもやもやを残して。

もやもやの正体

この出来事と自分が不甲斐なかったという話を
なんでも話せる友人へ話題として提供した。

するとこんな言葉が返ってきた。

「ああ、とてもわかるよ。最初に心に浮かんだ通りに行動しないと結構しょぼーんってなるよね」

そう。

そうなのだ。

僕はあの時、自分自身の心の声に『嘘をついた』ことにひどく落ち込んでいたんだなと、改めてそれを感じた。

あの時僕の心の中には間違いなく

『よし!助けよう』

という素直な気持ちが出てきていた。

「助ける」っていう表現が正しいかどうかわからないけど、女性の胸ぐら掴んで一方的に怒鳴って今にも殴るぞ、と構えてる人が正しいは思わなかった。

だけど、その気持ちとは裏腹に、その場をスルーした。

それは多分びびってたんだと思う。
男の方がガタイがよくて喧嘩じゃ勝てないとか、そんなんではなく。

きっと

「関係ない奴が出てくんじゃねえ!」
「なに正義ぶってるんだ!」
「構わないであっちいって」

そういうふうに怒鳴られたり言われたりすることに。

自分の行動が否定されて傷付けられるのが怖かったんだと思う。

だから、スルーした後も
そのもやもやを必死に打ち消そうと

「二人のことだからあまり手出ししない方がいい」
「車だったからおりて通り道の邪魔になるだろう」
「ここで降りて仲裁に入ったら会社に遅れる」

などと、別に誰に弁明するわけでもなく色々と頭のなかに考えがよぎったのだった。

心に思ったことよりもやらない理由考えてるあたりが、ほんと不甲斐なかったんだ。

『どうせ後悔するならやってから後悔する』

これは僕がいつも心に決めている言葉。
やった結果が後悔するようなものになってもやらずにウダウダ後悔してるよりはやっただけよっぽどいい。やっただけ成長したり経験値を積むからだ。

いつもそれやってるのに、今回はそれができなかった。

いつからか自分の心の声よりも
他人に笑われることが嫌だって思うようになった。

今回はそんな気持ちが勝ってしまった。

たとえ、他人からしたら正義感の押し売りかもしれないけど

自分の信じることを、自分自身を自分が裏切ったんだと感じたから
とても不甲斐なかったんだろう。

それと同時に、ああこの心の声っていうのが『良心』なのかなと
その存在をその時改めて感じた。

自分に素直になる。そういう人になろう。

よし!次は見捨てない。

みゅージンでした。

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